地球産にはロクなもんがねえ

自分を特別だと思うのをやめて 無理やり昔のことを思い出そうとするのもやめて 嘘や誇張はしたりしなかったりで ありのままのまま 間違いは間違ったまま ころがってもそのまま そのままではあかんのやろうけどええかもわからん

4月20日と指輪には

結婚して11年になる。

犬は5歳になった。

家にシークワサーの樹を植えたのが9年前。

妻と出会って12年と3ヶ月。

とても大切なものはそれだけで、

シークワサーの樹もそこからは外れる。

 

幸せとか落ち着くとか楽しいとか、

それはそうであるのだけれど、

なんとなくそれが逃げ場所というかなんというか。

それは守ろうと必死にあがかなくても、

そこにあって、

他のものがバラバラと崩れていっても、

僕はそれでいいというかなんというか。

そこにあって当たり前で、

そこがそこであってもそこでいい。

 

アンタハヨクテモワタシハイヤダワン

 

外に出て、もっと色々なものを色々なことで、

遊んで、見て、聞いて、味わって、

苦労して、感動して、泣いて、笑って。

そのための一緒にいる時間で。

そのための一緒にいられない時間で。

 

家焼くか。

 

例えば僕の家が焼けて、

とにかく僕と妻と犬は助かりました。

しばらく妻の両親の家にやっかいになり、

犬オーケーのアパートを探しました。

今度は駅が近い場所にしました。

特に電車に乗る用事もないので、

電車の音がただうるさいアパートでした。

休みの日は部屋にいる気もしないので、

妻と犬とドライブに出かけました。

隣の県まで行き、公園で犬を走らせ、

帰り道には昔一緒に住んでいたアパートの辺りで寄り道。

「あの店潰れたんだね」などと会話し、

これは今と変わらん。家は焼かない。

「結果」と書かれたシャツを着て

建築の現場監督という仕事をしている。

誰も興味はないだろうが、

建築は一品受注生産で、現地屋外生産で、労働集約型生産である。

誰も見たことのないものを、

雨にも負けて、風にも負けて、暑さに特にも負けて、

知ってるような知らないような人達で、

建物を造っている。

ちょっと特殊なのである。

 

現場監督はその監督をする仕事なのだが、

技術者とは名ばかりに、

お金、命、時間、美しい仕事、

夢、思惑、結果、約束、

これらのようなものを、

不満満足の満足側に少し傾けることをしている。

傾け過ぎると良いことがない。

微妙なバランスで仕事をしている。

 

「時間」と書かれた板を満足側に傾ける。

板の上には「美しい仕事」と書かれたボールが置いてあって、

不満側にコロコロと転る。

いかんいかんと板を戻しボールが反対に転がり出したころ、

「約束」と書かれたロウソクの火が板にあたる。

「夢」と書かれたうちわは好き勝手に風を送り、

「命」と書かれた石は転がりもせず板を火に近づける。

「思惑」と書かれた紙はいつの間にか燃え尽き、

「お金」と書かれた霧吹きの水が煙の中で空しく尽きる。

板に「時間」などと書いたことを後悔し、

夜が明けて朝が来て、板を手に取る。

 

板に「命」と書くのは危ない。

これは技術者としての最低現のマナー。

板であることが問題なのかもしれない。

その答えには、技術者としての本質があるかもしれない。

今日も建築の現場監督という仕事をしている。

40になる

今こうして人生の折り返しにさしかかり、

過去を振り返りながら体を傾け、颯爽とコーナリングを始めれば、

「折り返し地点」と書かれた巨大コーンは、

Uターンさせるべく中央に配置されず、壁際。

 

まあ別に、ここまで走ってやってきたわけでもない。

コーンの先に鮮やかな黄金色の光を見ていたわけでもない。

寄り道もせず真っ直ぐただただ歩いてきたのだ。

颯爽とコーナリングが決まればな、と少し期待していただけだ。

 

振り返り、「成したな!」などという過去もない。

今あるモノも、大切なものがわずかばかりと、どうでもいいものが少し。

体は今のところ健康で、職場も今のところトラブルなく、家庭は妻も犬もかわいい。

これはあれなのだろうと思う。

尋ねられているのだろう、「折り返す?」と、

試されているのだろう、「折り返せるの?」と、

願われているのだろう、「あはは、反省の多い半生だね」

うるさい!どこの誰の馬の骨だ、馬鹿!

 

まあそういうことなのだからそうなる前にやれることは多々あって、

やってやろうじゃねえかって気にはならないが、

ここはここで今後これからの半生にとっても、

きっととっても大切

でもねーよって考えてしまうので、そーゆーとこ直す。