4月20日と指輪には
結婚して11年になる。
犬は5歳になった。
家にシークワサーの樹を植えたのが9年前。
妻と出会って12年と3ヶ月。
とても大切なものはそれだけで、
シークワサーの樹もそこからは外れる。
幸せとか落ち着くとか楽しいとか、
それはそうであるのだけれど、
なんとなくそれが逃げ場所というかなんというか。
それは守ろうと必死にあがかなくても、
そこにあって、
他のものがバラバラと崩れていっても、
僕はそれでいいというかなんというか。
そこにあって当たり前で、
そこがそこであってもそこでいい。
アンタハヨクテモワタシハイヤダワン
外に出て、もっと色々なものを色々なことで、
遊んで、見て、聞いて、味わって、
苦労して、感動して、泣いて、笑って。
そのための一緒にいる時間で。
そのための一緒にいられない時間で。
家焼くか。
例えば僕の家が焼けて、
とにかく僕と妻と犬は助かりました。
しばらく妻の両親の家にやっかいになり、
犬オーケーのアパートを探しました。
今度は駅が近い場所にしました。
特に電車に乗る用事もないので、
電車の音がただうるさいアパートでした。
休みの日は部屋にいる気もしないので、
妻と犬とドライブに出かけました。
隣の県まで行き、公園で犬を走らせ、
帰り道には昔一緒に住んでいたアパートの辺りで寄り道。
「あの店潰れたんだね」などと会話し、
これは今と変わらん。家は焼かない。